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私は若い頃よく韓国に行く機会が有り、この事実に興味が湧きソウルに
行くたび事に、その博文寺と言う禅寺の所在を求めて聞き歩きましたが、
所在地はおろか博文寺なる寺の事は一言も聞き及ぶことが出来無かった。

そんな折りソウルの南東の高台にある、韓国一の豪華な新羅ホテルに泊
まる機会が有り、そこがソウルの南東の高台と言うことで何か期待を持
っていた矢先に、 朝起きたら道路を挟んだ目の前の高台の大きな建物の
方角から 鐘の音が聞こえて来たのです。

もしや彼の地に行けば博文寺に付いて何か分かるのではないかと鐘の音を
頼りに行って見ますと、そこは韓国には只一つしかないと云う仏教大学の
東国大学でした。


そこは広い敷地に幾棟もの校舎があり、鐘の音はその奥の方から聞こえて
来るくるではありませんか、やっと探し求めていた博文寺がこの地がでは
ないかと思うと居たたまれずソウルの韓国人の友達を伝に大学の学長宛に
事情を説明して暫くでも良いから話しを聞きたいと面会を求めたのです。

返事はその日の内に電話で戴き、翌朝10時に暫くならば学長みずからが面
会しても良いと云う嬉しい返事でした。

翌日 私は約束の時間に通訳代わりに日本語の話せる韓国人の友達を同伴
して学長室に赴いたのです。学長は思ったより若くて聡明で、挨拶の後
呉享根と自らが名乗って名刺を渡して下さいました。

その後私は学長の机を挟んで椅子に坐るなり手短に伊藤博文の博文寺なる
禅寺の事が知りたくて訊ねてきたと話したのです。。。

学長は優しい眼差して私を見つめながら「貴方が昨晩お泊りになったあの
立派な新羅ホテルが、日本国が威厳に掛けて建てた博文寺と云う由緒ある
禅寺の跡地ですよと、戦後間もない頃先輩が声を潜めて話して呉れました
と結論から先に話されたのです。

しかしその時 学長は先輩から博文寺と聞いて伊東博文を思い出したが、
その他の事は先輩も口をつぐんで何も云わず、それ以上の事は聞くことも
出来ずそのまま博文寺は高い塀に囲まれ世上から抹殺たれたそうです。

その後学長は事あるごとに気になり図書館をはじめあらゆる所で調べたが
何一つ記録は残されておらず、現在に至ったとの事でした。

そんな時の私の訪問は学長の的を射たのか寸時の約束の面会の話が永平寺
の話に成ると、急に興味が示され二時間にも及ぶ話合に成ってしまった。

その会話の内容は。。第二次世界大戦が終わるとともに博文寺は韓国政府の
管理の下、お寺の周りは高い塀に囲まれて外部と接触を断っていたが寄宿舎
不足に困った仏教大学の東国大学が使用していたところ、博文寺の事も忘れ
さられ、高台の眺めの良さと環境の良さに目を付けた韓国一の財閥の三星が
その地を買い取り世界の百選にも入る韓国の迎賓館を兼ねた豪華なホテルの
新羅ホテルとて再出発したと云うのでした。。。

以前 永平寺が発行した書物に終戦前に韓国のソウルの南東の高台に
永平寺の69世天山禅師が貫首に成るまでの数年間住持した 永平寺と
総持寺の韓国の別院として博文寺なる禅寺が有ったが終戦後その博文
寺なる寺の事は一切判らずその後地さえも分からないと書いてあった。

その禅寺は 曹洞宗の大本山永平寺の69世天山禅師が住持した、
永平寺と総持寺の両本山の別院だったのです。

かって 韓国が日本の統治下に有った時代に、ソウルの南東の
高台に 博文寺という伊藤博文に由来する立派な禅寺が有った。

写真の木造部分の建物はその迎賓館で
韓国由来の極彩色豊かな立派な建築で
永平寺の別院が有った場所です。

迎賓館の右側の赤い建物は一般の宿泊
部門で、世界の豪華ホテル100選にも
選ばれているホテルです。。。

又 迎賓館の裏には趣きの有る庭園が
有りますが、ここが一番昔を忍べる所
ではないのでしょうか。。。

木造部分の迎賓館

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